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臣民の道

The Way of the Subjects

序言
Preface

第一章 世界新秩序の建設
Chapter One: Construction of the New World Order

一、世界史の轉換
One: The Conversion of World History


二、新秩序の建設
Two: Construction of the New Order

三、國防國家體制の確立
Three: The Formation of the Nation's Defense


第二章國體と臣民の道 
Chapter Two: The Nation and the Way of the Subjects

 一、國體
One: The Nation

二、臣 民 の 道 
Two: The Way of the Subjects

三、祖先の遺風 
Three: Ancestral Tradition


第三章  臣民の道の實踐
Chapter Three: Practice of the Way of the Subjects

一、皇國臣民としての修練
One: Training as a Subject of the Emperor

二、國 民 生 活
Two: The Life of the People


結  語
Conclusion

 


 

序言
Preface


 皇國臣民の道は、國體に淵源し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常實踐の道であり、國民のあらゆる生活・活動は、すべてこれ偏に皇基を振起し奉ることに歸するのである。
 顧みれば明治維新以來、我が國は廣く知識を世界に求め、よく國運進展の根基に培つて來たのであるが、歐米文化の流入に伴なひ、個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義等の影響を受け、ややもすれば我が古來の國風に悖り、父祖傳來の美風を損なふの弊を免れ得なかつ! ;! ;た。滿洲事變發生し、更に支那事變起こるに及んで、國民精神は次第に昂揚して來つたが、なお未だ國民生活の全般に亙つて、國體の本義、皇國臣民としての自覺が徹底してゐるとはいひ難きものがある。ともすれば、國體の尊厳を知りながらそれが單なる觀念に止まり、生૬! ;! 3;の實際に具現せられざるものあるは深く憂ふべきである。かくては、我が國民生活の各般に於いて根強く浸潤せる歐米思想の弊を芟除し、眞に皇運扶翼の擧國體制を確立して、曠古の大業の完遂を期することは困難である。ここに於いて、自我功利の思想を排し、國家奉仕をĻ! ;! 32;一義とする皇國臣民の道を昂揚實踐することこそ、當面の急務であるといはねばならぬ。

第一章 世界新秩序の建設
Chapter One: Construction of the New World Order

一、世界史の轉換
One: The Conversion of World History

二、新秩序の建設
Two: Construction of the New Order

三、國防國家體制の確立
Three: The Formation of the Nation's Defense



一、世界史の轉換
One: The Conversion of World History


 近世初期以來數百年に亙つて、世界人類を個人主義・自由主義・唯物主義等の支配下に置いた舊秩序は、いまや崩壞の一途を辿り、未曾有の世界的變動の中に、新秩序の建設は刻々に進行してゐる。この世界新秩序の意義を明確にするためには、先ず世界近世史に就いてその! ;! ;大要を瞥見しなければならぬ。
 近世史は一言にしていへば、歐洲に於ける統一國家の形成と、これらの間に於ける植民地獲得のための爭覇戰との展開である。即ち近世初期にアメリカ大陸が發見せられ、それに引き續いて歐洲諸國民は支那・インド等の遥かなる東亞の地へも、大洋の波を凌いで盛んに來航! ;! ;することとなつた。而してその全世界への進出は、やがて政治的・經濟的・文化的に世界を支配する端緒となり、彼らは世界をさながら自己のものの如く見なし、傍若無人の行動を當然のことのやうに考へるに至つた。
 この侵略を歐洲以外の諸國はただ深い眠りの中に迎へた。南北アメリカもアフリカも、オーストラリヤも印度も、武力を背景とする強壓と、宗敎を手段とする巧妙なる政策とによつて、瞬く間に彼らの手中に歸した。阿片戰爭によつてその弱體を暴露した支那もまた、忽ちに! ;! ;して彼らの蠶食の地と化するに及んだ。我が國は、室町時代末より安土桃山時代にかけて、先ずポルトガル・イスパニア等の來航に接し、後に鎖國政策によつて一時の静安を得たけれども、幕末に至りイギリス・フランス・アメリカ・ロシヤ等の來航漸く繁きに會し、神洲のࢸ! ;! 0;もまた安からざるものがあつた。
 元來歐洲諸國民の世界進出は冒險的興味の伴つたものであつたとはいへ、主として飽くなき物質的欲望に導かれたものである。彼らは先住民を殺戮し、或ひはこれを奴隷とし、その地を奪つて植民地となし、天與の資源は擧げて本國に持ち返り、或ひは交易によつて巨利を博! ;! ;した。されば彼らの侵略は世界の至る所に於いて天人共に許さざる暴擧を敢へてし、悲慘事を繰り返したのである。アメリカ-インディアンはいかなる取り扱ひを受けたか。アフリカの黒人は如何。彼らは白人の奴隷として狩り集められ、アメリカ大陸に於いて牛馬同様の勞役{! 95;從事せしめられたのである。このことは大東亞共榮圏内に於ける諸地方の被征服過程と現状とに就いて見ても、思い半ばに過ぎざるものがあらう。而して西暦十八世紀末より十九世紀にかけての歐洲に於ける産業革命は、彼等の世界支配の勢いを劃期的に飛躍せしめたことは ! 356;ふまでもない。機械の發明による工業の發達は、夥しい原料を要求すると共に、その莫大な製品を売り捌く海外市場を必要とした。彼らは愈々盛んに原料の獲得と製品のはけ口とを植民地に求めた。やがて勢いの趨くところ、彼ら同志の間に熾烈なる植民地爭奪や貿易競爭が&! #03;! 6215;こり、かくして弱肉強食の戰いを繰り返したのである。近世に於けるイスパニヤ・ポルトガル・オランダ・イギリス・フランス等の間の戰爭や勢力消長史は、海外侵略と密接な關係のないものはない。かかる弱肉強食的世界情勢の形成は、やがてその矛盾を擴大し、ついに西&a! mp;#! 26278;1914年の世界大戰の勃興を見ることとなつた。
 世界大戰は、獨佛間の歴史的仇敵關係も與つてはいるが、主として英獨の制海權の爭奪、經濟制覇の鬪爭がその原因となつてゐる。而して戰爭の結果戰敗國ドイツは徹底的重壓を加へられて滅亡の淵に逐はれ、英佛米の獨占的世界支配が愈々強化せられた。民族自決の美名の! ;! ;下に弱小國家が戰後の歐洲地圖を彩つたけれども、それ等は要するに英佛米の世界制覇の堡壘たる役割りを擔ふものであつた。所謂正義人道はただ彼等の利己的立場を正當化する手段に過ぎなかつたのである。
 近世初期以來西洋文明の基調をなした思想は、個人主義・自由主義・唯物主義等である。この思想は弱肉強食の正當視、享樂的欲望の際限なき助長、高度物質生活の追及となり、植民地獲得及び貿易競爭を愈々刺戟し、これが因となり果となつて世界を修羅道に陥れ、世界大! ;! ;戰といふ自壞作用となつて現れたのである。されば大戰後彼等の間からも西洋文明沒落の叫びが起こつたのは、當然のことといはねばならぬ。英佛米等があらゆる手段方法を講じて現状維持に狂奔し、また共産主義の如き徹底的なる唯物主義に立脚して階級鬪爭による社會革ࡲ! ;! 9;を企圖する運動が熾烈となつた一方では、ナチス主義・ファッショ主義の勃興を見るに至つた。この獨伊に於ける新しい民族主義・全體主義の原理は、個人主義・自由主義等の幣を打開し匡救せんとしたものである。而して共に東洋文化・東洋精神に對して多大の關心を示し{! 90;ゐることは、西洋文明の將來、ひいては新文化創造の動向を示唆するものとして注目すべきことである。
 かくて世界史の轉換は舊秩序世界の崩壞を必然の歸趨たらしむるに至つた。ここに我が國は道義による世界新秩序の建設の端を開いたのである。

二、新秩序の建設
Two: Construction of the New Order


 滿洲事變は、久しく抑壓せられていた我が國家的生命の激發である。この事變を契機として、我が國は列強監視の中に、道義的世界の創造。新秩序建設の第一歩を踏み出した。蓋しこれ悠遠にして崇高なる我が肇國の精神の顯現であり、世界史的使命に基づく國家的生命の已! ;! ;むに已まれぬ發動であつた。
 我が國の地位は明治三十七八年戰役によつて一躍世界的となつた。この戰役は、ロシヤの東亞進攻態勢によつて獨立を脅威せられた我が國が、擧國一致、眞に國運を賭して立つた自衛のための戰いであつたが、その世界史的意義は極めて重大であつた。即ち歐洲の大強國帝政! ;! ;ロシヤが東洋支配の最後の一線に於いて、渺たる東海の一島國とのみ見られていた日本のために、圖らずも手強い反撃に遭い、歐米勢力の世界支配の體制はここに一轉するの兆しを示すに至つた。而して我が國の勝利は、全世界の耳目を慫動し、ひいては歐米の勢力下に慴伏ӛ! ;! 4;餘儀なくせられていた亞細亞諸國の覺醒を促し、獨立運動の氣運を喚起することとなつた。かくて印度をはじめ、トルコ・アラビヤ・泰・安南その他の諸國は歐米の羈絆を脱せんとの希望に燃え、支那の新しい民族運動にも強い刺戟となつた。かかる澎湃たる亞細亞の覺醒のĔ! ;! 83;運の中に我が國民は東亞の安定を確保することが日本の使命であり、東亞諸地方を解放することは、懸かつて日本の努力にあることを痛切に自覺したのである。
 我が國は明治維新以來、開國進取の國是の下に鋭意西洋文物の摂取に努めその間多少の波瀾があつたとはいへ、よくこれ等の長を採つて國運進展の根基に培い、營々として國力充實に邁進して來たのである。殊に明治二十七八年竝びに三十七八年戰役に於いて國威を海外に宣! ;! ;揚し、更に世界大戰を經て世界の強大國に躍進した。諸般の文物制度は顯著なる發達を遂げ、敎育の普及、學術の進歩、産業の發達、國防の充實等、あらゆる方面に於いてその面目を一新し、ここに我が國は名實共に東亞の安定勢力たるの地位を確立するに至つた。
 かかる我が國運の隆々たる發展伸張は、東亞の天地を併呑せんとする歐米諸國をして深く嫉視せしめ、その對策として彼等は、我が國に對して或ひは經濟的壓迫を加へ、或ひは思想的攪亂を企て、或ひは外交的孤立を策し、以つて我が國力の伸張を挫かんとした。このことは! ;! ;同時に東亞をしてその自主性を喪失せしめ、永遠に彼等の傀儡たらしめんとするものに外ならない。
 世界大戰の歸結たる所謂ベルサイユ體制は、戰敗國ドイツに徹底的重壓を加へると共に、英佛米による世界支配を強化せんとするものであつたといふことが出來る。而してベルサイユ條約成立後、國際聯盟を中心とする彼等の對日構成は愈々執拗となり、大正十年より翌十一! ;! ;年に亙るワシントン會議に於いては、國運の進展に必須の推進力たる軍備の削減を意圖して、主力艦の噸數に於ける比率を定めることによつて、我が海軍力に對する彼等の優位を確保せんとした。それのみならず、四國條約によつて太平洋上の島嶼の安全保障に名を藉りて我Ӕ! ;! 4;國防を脅かし、また九國條約によつて支那に對する彼等の權益を擁護し、かつ我が大陸への發展を妨げんと企てた。彼らはこれに飽くことなく、更に昭和五年のロンドン會議に於いては補助艦艇の比率をも制限し、我が海軍力を英米に對して絶對的劣位に釘付けせんとした。{! 71;れ我が國が東亞勃興の推進力としての地位に躍進するを阻まんとせるものに外ならない。またこれに前後してアメリカは、我が海外移民の入國を制限または禁止する等の處置に出でた。かく諸方面に於いて、我が國の發展を阻止せんとする策謀が續けられたのである。
 かかる太平洋を周る諸情勢の逼迫につれて、東亞に於ける我が國の立場も急迫せる事態に直面することとなつた。即ち支那は歐米諸國の對日壓迫の勢いを利用してその經濟的支援を得、またソ聯との接近を圖り、かつ我が國力を過小に評価して日本與し易しとなし、同胞の血! ;! ;と肉とによつて確立せられた滿洲に於ける地位を蹂躙して、我が生命線を脅かすに至つた。かくて昭和六年九月、滿洲事變の勃發をみたのである。
 世界史は滿洲事變を以つて新しき頁を書き始められた。世界の視聴は東洋の一角に集まり、英米勢力を中心とする國際聯盟はあらゆる手段を弄して妨害に乘り出した。併しながら我が國の堅き決意は、滿蒙三千萬民衆の運命を擔つて事變の完遂に邁進し、昭和七年には滿洲國! ;! ;の輝かしい誕生となつたのである。而して滿洲國は王道樂土・民族協和を理想として逐年迅速かつ健全に生長を續け、日滿一體の實愈々鞏固なるものがある。
 多民族の搾取と犧牲とによつてその繁榮を續けんとする歐米諸國は、滿洲建國によつて大な脅威を感じ、國際聯盟を利用して飽くまで我が國に不當の制裁を加へんと狂奔した。所謂リットン報告書は専らそのための準備であり、聯盟は道義的世界を顯現せんとする我が意圖を! ;! ;蹂躙せんとした。ここに於いて我が國は遂に意を決し、昭和八年三月、國際聯盟を脱退するに至つたのである。國際聯盟脱退に關する詔書には、

 

  今次滿洲國ノ新興ニ當リ帝國ハ其ノ獨立ヲ尊重シ健全ナル發達ヲ促スヲ以テ東亞ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト為ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ト背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ


と仰せられてある。國際聯盟は畢竟名を世界の公論に藉りて、英佛等の世界大戰によつて獲得せる利權を護り、その現状を維持せんとする機關に堕し了はつたのである。我が國はかかる桎梏を敢然として摧破した。而も我が國の決意と武威とは、彼等をして何らの制裁にも出づ! ;! ;ること能はざらしめた。我が國が脱退するや、聯盟の正體は世界に暴露せられ、ドイツも同年秋に我が跡を追うて脱退し、後れてイタリヤもまたエチオピヤ問題に機を捉らへて脱退の通告を發し、國際聯盟は全く虚名のものとなつた。かくして我が國は昭和六年の秋以來、世஺! ;! 8;維新の陣頭に巨歩を進め來つてゐる。
 我が國は滿洲國と協力して日滿一體の實を擧げてゐるが、東亞全般の新秩序を建設するには、支那との心からなる提携協力を必要とする。蓋し日滿支が一體となつてこの理想の實現に邁往してこそ、東洋の平和は確立せられ、ひいては世界の平和にも寄與し得るのである。北! ;! ;清事變以來擡頭し來つた支那の民族運動は、明治三十七八年戰役以來の我が國の目覺しき躍進に刺戟せられて急激に高まつたが、それは歐米の搾取と暴壓との桎梏を打破し、半植民地的地位を脱出して、大東亞共榮圏の一翼としての新しき支那の建設に向かふべきであつた。୒! ;! 2;るにその運動は、日支提携による東亞の自主的確立を欲せざる歐米諸國竝びにコミンテルンの畫策に乘ぜられ、却つてこれ等勢力に依存することとなり了はつた。かくして不幸にも根本方針を誤つた一部指導者は、抗日救國の名の下に一般民衆に對して多年に亙り執拗に抗日ă! ;! 34;育を施し、ここに排日侮日の風潮は全支に瀰漫し、滿洲事變を經て日支の國交は愈々危機に瀕するに至つた。
 昭和十二年七月、蘆溝橋に發した日支衝突事件に際しては、我が國は東亞の安寧のため、現地解決、不擴大方針を以つて臨み、隠忍自重して彼の反省を待つたのである。然るに支那は飽くまで我が實力を過小に評価し、背後の勢力を恃みとして、遂に全面的衝突にまで導いた! ;! ;。かくて硝煙は大陸の野を蔽い、亞細亞にとつて悲しむべき事態が展開せられるに至つたのであるが、事ここに及んでは我が國は事變の徹底的解決を期し、新東亞建設の上に課せられた嚴肅なる皇國の使命の達成に一路邁進しなければならぬ。天皇陛下には、ここに深く御軫ঘ! ;! 5;あらせられ、支那事變一周年に當たり下賜せられたる勅語に、

 

  惟フニ今ニシテ積年ノ禍根ヲ斷ツニ非ズムバ東亞ノ安定永久ニ得テ望ムベカラザル日支ノ提攜ヲ堅クシ以テ共榮ノ實ヲ擧グルハ是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄與スル所以ナリ


と昭示し給ひ、國民の向かふべきところを諭し給ふた。まことに支那事變の目的は支那の蒙を啓き、日支の提携を堅くし、共存共榮の實を擧げ、以つて東亞の新秩序を建設し、世界平和の確立に寄與せんとするにある。
 事變始まつて既に五星霜、御稜威の下この大なる使命を負うて、忠勇なる皇軍將兵は、嚴寒を冒し、酷熱を凌ぎ、陸に海に空に奮戰力鬪して赫々たる武勲を輝かし、また銃後の國民は擧國一體よく奉公のまことを致してゐるのである。而して支那には既に新政權確立し、新し! ;! ;き支那の建設は漸くその緒に就いた。即ち昭和十五年十一月、南京の國民政府との間に日華基本條約竝びに附屬議定書の正式調印を見た。これによれば兩國政府は、「兩國相互ニ其ノ本然ノ特質ヲ尊重シ東亞ニ於テ道義ニ基ク新秩序ヲ建設スルノ共同ノ理想ノ下ニ善隣トシテಔ! ;! 2;密ニ相提携シ以テ東亞ニ於ケル恆久的平和ヲ確立シ之ヲ核心トシテ世界全般ノ平和ニ貢獻センコトヲ希望」するものであり、これがために兩國は政治・外交・敎育・宣傳・交易等諸般に亙り相互に兩國間の好誼を破壞するが如き措置及び原因を撤廢し、かつ將來もこれを禁絶{! 77;ると共に、政治・經濟・文化等各般於いて互助敦睦の手段を講ずべき旨を協定したのである。同時にまた日滿華三國共同宣言が發表せられ、相互の主權及び領土の尊重、互惠を基調とする三國間の一般提携、特に善隣友好・共同防共・經濟提携の實を擧げること、及びそのた ! 417;に必要なる一切の手段を講ずること等が宣言せられた。
 これより前、昭和十五年九月、日獨伊三國の間に條約が締結せられるに當り、天皇陛下には詔書を渙發あらせられ、

 

  大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ實ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ而シテ今ヤ世局ハ其ノ騒亂底止スル所ヲ知ラズ人類ノ蒙ルベキ禍患亦將ニ測ルベカラザルモノアラントス朕ハ禍亂の戡定平和ノ克復ノ一日モ速カナランコトニ&! amp;! #36587;念極メテ切ナリ乃チ政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩國トノ提攜協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見タルハ朕ノ深く懌ブ所ナリ惟フニ萬邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼシムルハ曠古ノ大業ニシテ前途甚ダ遼遠ナリ୬! 6;! 臣民益々國體ノ觀念ヲ明徴ニシ深ク謀リ遠ク慮リ協心戮力非常ノ時局ヲ克服シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ


と宣はせられた。日本の世界史的使命は實にこの聖旨に拜して昭らかである。而してこの條約の根本精神は、その前文の冒頭に見る如く、萬邦をして各々その所を得しむるを以つて恆久平和の先決條件とするところにある。ここに我が國の東亞に於ける指導的地位は愈々不拔の! ;! ;ものとなり、八紘を掩いて宇となす我が肇國の精神こそ、世界新秩序建設の基本理念たるべきことが愈々明確になつたのである。
 支那事變は、これを世界史的に見れば、我が國による道義的世界建設の途上に於ける一段階である。世界永遠の平和を確保すべき新秩序の建設は、支那事變の處理を一階梯として達成せられる。從つて、支那事變は、蒋介石政權の打倒を以つて終はるべきものではない。我が! ;! ;國としては、支那を誤らしめた東亞に於ける歐米勢力の禍根を芟除し、大東亞共榮圏の一環としての新しき支那の建設に協力し、東亞竝びに世界が道義的に一つに結ばれるまでは、堅忍不拔の努力を必要とする。日獨伊三國條約の締結も、世界平和の克服を目的とするものにࣨ! ;! 6;ならない。この意味に於いて、我が國は二重三重の責務を世界に對して負うてゐるのである。即ち政治的には歐米の東洋侵略によつて植民地化せられた大東亞共榮圏内の諸地方を助けて、彼等の支配より脱却せしめ、經濟的には歐米の搾取を根絶して、共存共榮の圓滑なる自Ł! ;! 02;自足經濟體制を確立し、文化的には歐米文化への追隨を改めて東洋文化を興隆し、正しき世界文化の創造に貢獻しなければならぬ。東洋は既に數百年に亙つて破壞せられて來た。その復興が既に容易の業ではない。更に新秩序を確立し新文化を創造するには、非常の困難が伴 ! 405;ことは必然である。この困難を克服してこそ、眞に萬邦協和し、萬民各々その所を得るに至るべき道義的世界の確立に寄與し得る。まことに國史を一貫して具現せられ來つた肇國の精神は、さきに滿洲事變、更にまた支那事變を契機として世界史轉換の上に大なる展開を示す&! #01;! 2395;至つたのである。

三、國防國家體制の確立
Three: The Formation of the Nation's Defense


 世界新秩序の建設は、漸くその第一歩を踏み出したのみである。現状維持の自由主義的民主主義國家の一群は、これに對して相結んで必死の妨害を試みてをり、またその諸植民地は、彼等の術策により未だ歐米依存の迷夢から醒めきれぬ。まことに大業の前途はなお遼遠であ! ;! ;つて、その行路は決して坦々たるものではない。あまねく世界人類をその堵に安んぜしめんとする我が國の責務は、尋常一様の覺悟を以つてしては到底果たすことが出來ぬ。この難局を突破するためには、國内の諸組織や機構も速やかに更新強化せられねばならない。これ國ࠦ! ;! 9;新體制の確立が要望せられる所以である。
 我が國は、近くは明治維新に際し擧國一致の體制を整へて外敵の侵攻を斥け、爾來國力を充實して富國強兵の實を擧げ、明治二十七八年竝びに三十七八年戰役の國難をも克服することが出來た。併しながら明治以來歐米文物の輸入に急なる餘り、ややもすれば本を忘れて末に! ;! ;趨り、我が古來の國風に悖るが如き餘弊を胎すに至つた。かくて明治三十七八年戰役は一般民心の弛緩を來たし、殊に世界大戰は未曾有の好景氣を齎して軽佻奢侈の風が瀰漫し、個人主義・自由主義・功利主義等の病弊が顯著となり、この間隙に乘じて赤化思想の流入もありӌ! ;! 9;時に我が國體の本義、肇國の精神を没却するものも出づるに至つた。綱紀の弛緩、思想の動搖、國防の輕視等、各方面に憂ふべき状態を呈したのである。偶々大正十二年九月、關東大地震が起こつたが、この災害も國民の反省と戒愼とを促すには足らなかつた。この時、國民ʀ! ;! 29;神作興に關する勅語を下賜あらせられた聖慮の程、ただただ恐懼に堪へぬ次第である。日本精神に還れとの痛烈なる叫びが國民の間から起こり來つたのは恰もこの頃からである。
 やがて滿洲事變が勃發し、一般國民も緊迫せる四圍の情勢に目覺めて來た。更に支那事變の發生を見るに及び、國内體制も時局の推移に伴つて漸次革新せられ來つたのである。併しながら國民各層に深く浸潤せる弊習は俄かに拂拭すべからざるものがあり、事變初期に於いて! ;! ;は國民の多くはかくまで大規模の戰ひなるとは考へず、まして世界史的意義に就いては認識を欠くものが少なくなかつた。然れども時局の進展は、我が國の使命の重大なるを明瞭ならしむると共に、國民を擧げて一國の偸安をも許さざる未曾有の難局に直面せるを覺らしむるӗ! ;! 5;至つたのである。今後如何なる事態が發生するにしても、これに對し擧國一體となつて敢然その難に當るべき十分の覺悟と萬全の準備とを整へ、いかなる試煉にも堪へて飽くまで不動の國是の貫徹に邁進しなければならぬ。即ち政治・經濟・分化・敎育等國民生活のあらゆるƅ! ;! 36;域に亙り、眞に擧國一致の體制を確立するすることこそ國家の焦眉の急務である。
 凡そ國防は國家の存立上必須の要件である。國防なき國家の如きは空想の世界のことに屬する。國防の完全なると否とは實に國家存亡の岐かれるところであり、これを忘れて國家の生成發展は到底望むべくもない。されば新體制確立の具體的目標は、高度國防國家體制の整備! ;! ;にあり、國家總力戰體制の強化にある。
 もと國防は武力戰に對する軍備を意味してゐた。少なくとも世界大戰に至るまでは、各國共にこの古い國防觀念に立脚して、軍備の充實を以つて直ちに國防の強化と考へ、戰爭は武力戰に終始したのである。然るに世界大戰が進行するに從つて兵器・弾藥・軍需資材等の甚だ! ;! ;しき消耗は國内生産力の擴充を促して、戰線と銃後とが緊密に結合すると共に、外交戰・經濟戰・思想戰・科學戰等が武力戰と一體となり、あらゆる國家活動が直接戰爭に參加することとなつた。かくて戰爭は國家總力戰であり、戰線と銃後との別なく、國民全部が戰爭に從ߚ! ;! 7;してゐることを如實に感ぜしめたのである。總力戰體制に立脚するにあらざれば眞の勝利を獲ることは出來ない。たとひ武力戰に勝を制するとも經濟戰・思想戰等に敗北するならば、結局戰敗の苦汁を嘗めなければならぬ。その好例はこれを世界大戰に於けるドイツに見るの{! 91;ある。
 戰爭の本質が武力戰から總力戰へと變化し來たるに伴ない、戰時と平時との境も明らかでなくなつた。世界が平和を謳歌してゐる時にも、その背後には各國の間に經濟戰・思想戰等熾烈なる鬪爭が續けられてゐる。平常より國家國民の總力が國家目的に集結統合せられ、最高! ;! ;度の機能を發揮し得るが如くに組織運營せられてゐるのでなければ、弋を執らずして既に敗退してゐるのである。若し國家の諸機構が支離滅裂となり、政治的には黨派が互ひに相剋對立し、經濟的にはその運營が個人の恣意と自由競爭とに放任せられて國家目的から遠ざかりӌ! ;! 9;文化的にも學術・芸能・諸施設等がほとんど國家に貢獻するところなく更に國體に背き國民の志氣を頽廢せしめるが如き思想の横行するままに委ねられてゐるならば、國家とは名のみである。今次のドイツの目覺しき活躍は、決して高度性能の機械化軍備の威力のみよるもの{! 91;はない。平時にあつてそれを支へ、それを動かしてゐる旺盛なる國民精神と國民の熱烈なる國防への協力との賜なのである。換言すれば、よく擧國一致して國内諸般の體制を統一的に組織運營し、平時戰時を一貫して總力戰體制を充實し來つたによるものである。
 今次歐洲大戰以來列強は競つて總力戰體制を採り、その強化に努めてゐる。英米等の民主主義國家も高度國防國家體制の整備を急いでいる。我が國は大東亞共榮圏の指導者として、また根本的には世界を道義的に再建すべき使命に鑑み、速やかに總力戰體制を完備し、以つて! ;! ;我が國是の遂行に邁進しなければならぬ。紀元二千六百年の紀元の佳節に當たり發せられた詔書には、

  爾臣民宜シク思ヲ神武天皇ノ創業ニ聘セ皇國の宏遠ニシテ皇謨ノ雄深ナルヲ念ヒ和衷戮力益々國體ノ精華ヲ發揮シ以テ時難ノ克服ヲ致シ以テ國威ノ昂揚ニ勗メ祖宗ノ神靈ニ對ヘンコトヲ期スベシ

と諭し給ふてゐる。而して我が國の總力戰體制強化の目的は、偏に皇運を扶翼し奉るところにあり、それは全國民がその分に応じ各々臣民の道を實踐することによつて達せられる。ソ聯は共産主義による世界制覇を目的とし、階級的獨裁による強權の行使を手段としてゐる。ド! ;! ;イツは血と土との民族主義原理に立つて、アングロ-サクソンの世界支配、ドイツ壓迫の現状を打破し、民族生存權の主張に重點をおき、そのためにナチス黨の獨裁に對する國民の信頼と服從とを徹底せしめ、全體主義を採用してゐるのである。イタリヤは大ローマ帝國の再ங! ;! 4;を理想とし、方法に於いてはドイツと異なるところなく、ファッショ黨の獨裁的全體主義に立脚してゐる。これ等に對し我が國は肇國以來、萬世一系の天皇の御統治の下に、皇恩は萬民に洽く、眞に一國一家の大和の中に生成發展を遂げて來たのであり、政治・經濟・文化・ŭ! ;! 57;事その他百般の機構は如何に分化しても、すべては天皇に歸一し、御稜威によつて生かされ來つたのである。我が國家の理想は八紘を掩いて宇となす肇國の精神の世界的顯現にある。我が國の如く崇高なる世界史的使命を擔つてゐる國はない。されば新體制を樹立し國防國家'! 636;制を確立するといふも、一に我が國體の本義に基づき、固有の國家體制を生かして萬民輔翼の我が國本然の姿に還り、以つて我が國力の運用を萬全ならしめ、その總力の發揮に遺憾なきを期することに外ならぬ。もとより制度や組織・方法・技術等は虚心坦懷に他の長を採る�! 1;! 2392;しても、核心は飽くまで本來の面目に反省し、その發揚に努るにある。

第二章  國體と臣民の道

Chapter Two: The Nation and the Way of the Subjects

 一、國體
One: The Nation

二、臣 民 の 道 
Two: The Way of the Subjects

三、祖先の遺風 
Three: Ancestral Tradition

一、國體
One: The Nation


 世界史は大きく新しく動きつつある。我が國の歴史的使命に基づく道義的世界建設の理想は、東亞新秩序建設への巨歩を通じてその實現の緒に就いた。時恰も昭和十五年、光輝ある紀元二千六百年を迎へ、國民は齊しく宝祚の彌々盛んなるを仰ぎ奉つたのである。この年、紀! ;! ;元の佳節に當たつては優渥なる詔書を賜はり、秋には記念の祝典が擧げられた。
 紀元二千六百年を壽ぐ曠古の盛典は、澄み渡つた大空の下、宮城外苑式場に於いて、天皇皇后兩陛下の行幸啓を仰ぎ奉り、盛大かつ嚴肅に行はれた。億兆擧つて聖壽の萬歳を唱へ奉つた歡喜と感激との中に、國民は肇國の淵源を憶い、神武天皇御創業の雄圖を偲び奉り、國史! ;! ;の成跡を顧み、皇國の窮まりもなき隆昌を慶祝した。かくて我等はここに、肇國の精神に基づく道義的世界建設への決意を愈々深くしたのである。
 我が國は、皇祖天照大神が皇孫瓊瓊杵ノ尊に神勅を授け、この豐芦原の瑞穗の國に降臨せしめ給ひしより、萬世一系の天皇、皇祖の神勅を奉じて永遠にしろしめし給ふ。臣民は億兆心を一にして忠孝の大道を履み、天業を翼賛し奉る。萬古不易の我が國體はここに燦として耀! ;! ;いてゐる。
 顧みるに我が國の道義的世界建設への使命は、悠遠なる我が肇國の事實に淵源してゐる。即ち伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱の神は、天ツ神諸々のみこともちてこの漂へる國の修理固成に從い給ふた。この二尊の大御業を、古事記には、

 

是に天ツ神諸(モロモロ)の命(ミコト)以(モ)ちて伊邪那岐命・伊邪那美命二柱の神にこの漂へる國を修理(ツク)り固成せと詔(ノ)りごちて、天(アマ)の沼矛(ヌボコ)を賜ひてことよさしたまひき

と記されてあるが、この傳承の中に、我が歴史的使命の悠久なる淵源が明らかに感得せられる。二尊は「國稚(ワカ)く、浮脂(ウキアブラ)の如くして、くらげなすただよへる」國を修理固成せられんがために、先ず大八洲を生み、次ぎに山川・草木・神々を生み、更にこれを統&! amp;! #27835;せられる天照大神を生み給ふた。二尊は天照大神を生ませられていたく喜び給ふたのであつて、日本書紀には、「此の子(ミコ)光華(ヒカリ)明彩(ウルハ)しくして六合(アメツチ)の内に照徹(テリトホ)らせり。」と記し、萬物を化育し給ふ宏大無邊なる御稜威を讃へ奉つてゐる。か ! 36;! 7;て天照大神は高天ノ原の神々を始め、二尊の生ませられた國土を愛護し、群品を撫育し、生成發展せしめ給ふのである。而してこの大御業を天壤と共に窮まりなく弥榮えに榮えしめ給はんとして、皇孫瓊瓊杵ノ尊に

 豐葦原の千五百秋(チイホアキ)の瑞穗(ミヅホ)の國は是れ吾(ア)が子孫(ウミノコ)の王(キミ)たるべき地(クニ)なり 宜しく爾皇孫(イマシスメミマ)就(ユ)きて治せ 行矣(サキクマセ) 宝祚(アマツヒツギ)の隆えまさむこと、當に天壤(アメツチ)と窮りなかるべし


と勅せられて、大八洲に降臨せしめ給ふた。
 この時、天照大神は皇孫に三種の神器、即ち八坂瓊ノ曲玉・八 ノ鏡・天ノ叢雲ノ剣(草薙ノ劒)を授け給ひ、爾來神器は聯綿として代々相傳へ給ふ皇位の御しるしとなつた。特に御鏡については勅を賜はり、

此れの鏡は、專(モハ)ら我が御魂(ミタマ)として、吾が前(ミマヘ)を拜(イツ)くが如(ゴト)、いつきまつれ

と仰せられてゐる。即ち御鏡は、天照大神の崇高なる御靈代として皇孫に授けられたものであり、歴代の天皇はこれを受け繼ぎいつきまつり給ふのである。
  皇孫降臨の後、御三代の間は日向の地にましまし、ひたすら正しきを養い慶を積み暉を重ね給ふたのであるが、神武天皇の御代に至つては御東征あり、大八洲の中心に遷つて、國をしろしめし給ふた。而して大和橿原の地に都を奠めさせられるに際しては、

 夫れ大人(ヒジリ)の制(ノリ)を立つる、義(コトワリ)必ず時に隨ふ。苟も民に利(クボサ?)あらば、何ぞ聖造(ヒジリノワザ)に妨(タガ)はむ。且(マタ)當に山林(ヤマ)を披拂(ヒラキハラ)ひ宮室を經營(ヲサメツク)りて、恭(ツツシ)みて寳位(タカミクラヰ)に臨み、以て元元(オホミタʍ! ;! 98;ラ)を鎭(シヅ)むべし上は即ち乾靈(アマツカミ)の國を授けたまふ德(ウツクシビ)に答へ下は即ち皇孫(スメミマ)の正(タダシキ)を養ひたまひし心(ミココロ)を弘めむ。然して後に六合(クニノウチ)を兼ねて以て都を開き、八紘(アメノシタ)を掩(オホ)ひて宇(イヘ)と為(セ)むこと、亦可(A! 430;)からずや

と詔し給ふた。この天業恢弘の御精神は、專ら我が肇國の精神に則とらせられたものであり、歴代の天皇はこの大御心を繼ぎ給ひ、天の下をしろしめし給ふのである。今上陛下には日獨伊三國條約の締結に際し詔書を下し給ひ、

 大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ實ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ

と仰せられてゐる。國民はこの肇國の精神に基づかせ給ふ深き大御心を奉體し、皇國の世界史的使命の達成に奮勵努力しなければならぬ。
 天ノ日嗣の御位に即かせ給ふ天皇は、神鏡奉齊の神勅のまにまに、祭祀の大御業、即ちまつりを通じて皇祖と御一體とならせ給ひ、皇祖の大御心を體し給ふ。神武天皇は御即位の後、

 我が皇祖(ミオヤ)の靈(ミタマ)や、天(アメ)より降鑒(クダリヒカ)りて、朕が躬(ミ)を光(テラシ)助けたまへり今諸の虜(アダドモ)巳に平ぎ、海内(アマノシタ)無事(シヅカ)なり以て天神を郊祀(マツ)りて用(モツ)て大孝を申(ノ)べたまふ可し。

と宣い、靈畤を鳥見の山中に設けて、皇祖天ツ神を祀り給ふた。歴代の天皇もまた、常に皇祖皇宗を給ひ、恆例及び臨時の祭祀を嚴肅に執り行はせられる。光仁天皇は、

 神祇を祭祀する國の大典なり

と勅せられ、宇多天皇は御日記に、

 我が國は神國なり  因つて毎朝、四方大中小の天神地祇を敬拜す

と記し給ひ、崇德天皇は禁秘御抄に、

 凡そ禁中の作法、先づ神事、後に他事。旦暮敬神の叡慮、懈怠なし
 
と述べ給ふてゐる。毎年の政始には、先ず神宮の御事を聞こし召され、畢はつて政治の奏上を受けさせられる趣に拜する。

 御宇多天皇御製
天津神國つ社をいはひてぞ我があしはらの國はをさまる

 明治天皇御製
神垣に朝まゐりしていのるかな國と民とのやすからむ世を

 御製
天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たゝぬ世を

 かくて神を祀らせられることと政をみそなはせ給ふこととは、その根本に於いて一である。ここに天皇の御敬神はそのままに愛民の御政治となる。これ祭政一致の我が國體の然らしむるところである。明治三年の鎮祭の詔には、

 朕恭しく惟みるに大祖業を創め神明を崇敬し、蒼生を愛撫す祭政一致由來する遠し矣

と仰せられてゐるのであつて、祭政一致は實に肇國の古へより國史を一貫する神聖にして厳粛なる事實である。天皇は神につかへ給ふ大御心を以つて國をしろしめし給ふのである。
 また天照大神は五穀を得ていたく喜ばせられ、

 是の物は則ち顯見蒼生の食ひて活く可きものなり

と宣い、また親ら機を織らせ給ひ、而して皇孫降臨に際しては、

 我が高天ノ原に御す斎庭の穗を以て、亦吾が児に御せまつる

と勅し給ふた。神武天皇は皇居を營み給ふに當たり、

 夫れ大人の制を立つる、義必ず時に隨ふ。苟も民に利あらば、何ぞ聖造に妨はむ

と詔し給ひ、崇仁天皇は、

 宸極しろしめすことは、豈一身の為ならむや

と仰せられ、仁徳天皇は、

 百姓貧しきは則ち朕が貧しきなり。百姓富めるは、則ち朕が富めるなり

と述べ給ひ、また元明天皇が宣命に、

 遠皇祖の御世を始めて、天皇が御世御世、天つ日嗣と高御座に坐して、此の食國天下を撫で賜ひ慈み賜ふ事は、辞立つに在らず人の祖のおのが弱児を養ひ治す事の如く、治め賜ひ慈み賜ひ來る業となも、隨神念ほしめす。

と仰せられたのを拝するにつけても、民をみそなはすこと子の如き大御心の程は、まことに忝なき極みである。聖武天皇は、疾疫流行し、百姓重病を得て昼夜辛苦せる時、

 朕は父母たり、何ぞ憐愍せざらむ

と大御心を垂れ給ひ、醫藥を遣はし、賜穀賑恤せしめられた。醍醐天皇は寒夜に御衣を脱ぎ給ふて窮民の上を御軫念あらせられ、後鳥羽天皇は御製に、

 夜を寒みねやのふすまのさゆるにもわらやの風を思ひこそやれ

と深く民草を憐み給ふた。後醍醐天皇は飢饉を聞こし召して朝餉の供御を止めさせられ、御製に、

 世をさまり民やすかれといのるこそわが身につきぬおもひなりけれ

と、深き大御心の程を詠じ給ふてゐる。明治天皇は維新の宸翰に、

 朝政一新ノ時ニ膺リ天下億兆一人モ其處ヲ得サル時ハ皆朕カ罪ナレハ今日ノ事朕自身骨ヲ勞シ心志ヲ苦メ艱難ノ先ニ立古列祖ノ尽サセ給ヒシ蹤ヲ履ミ治蹟ヲ勤メテコソ始テ天職ヲ奉シテ億兆ノ君タル所ニ背カサルヘシ

と仰せ給ふた。
 かくて天皇は皇祖皇宗の御心のまにまに、親の子を慈しむにもまして國民を慈しみ給ひ、國民は天皇を大御親と仰ぎ奉り、ひたすら隨順のまことを致すのである。これは國即家の我が國體の精華である。今上陛下には即位礼當日の紫宸殿の儀に於いて勅語を賜はり、

 皇祖皇宗國ヲ建テ民ニ臨ムヤ國ヲ以テ家ト為シ民ヲ視ルコト子ノ如シ列聖相承ケテ仁恕ノ化下ニ洽ク兆民相率ヰテ敬忠ノ俗上ニ奉シ上下感孚シ君民體ヲ一ニス是レ我カ國體ノ精華ニシテ當ニ天地ト竝ヒ存スヘキ所ナリ

と仰せ出されてゐる。
 かかる國體を有する國は、世界のいづくにも見出すことが出來ぬ。我が國にして始めて道義的世界建設の使命を果たし得るのであり、我が國こそまさしく世界の光明である。天皇陛下には紀元二千六百年式典の臨幸あらせられて、

 茲ニ紀元二千六百年ニ膺リ百僚衆庶相會シ之レカ慶祝ノ典ヲ擧ケ以テ肇國ノ精神ヲ昂揚セントスルハ朕深ク焉レヲ嘉尚ス今ヤ世局ノ激變ハ實ニ國運隆替ノ由リテ以テ判カルル所ナリ爾臣民其レ克ク嚮ニ降タシシ宣諭ノ趣旨ヲ體シ我カ惟神ノ大道ヲ中外ニ顯揚シ以テ人類ノ福祉! ;! ;ト萬邦ノ協和トニ寄與スルアランコトヲ期セヨ

と勅し給ふた。皇國の道に則とり肇國の精神を四海に宣揚して、道義に基づく世界新秩序を建設し、以つて人類の福祉、萬邦の協和に寄與するこそ、我が國の使命である。

二、臣 民 の 道 
Two: The Way of the Subjects

             
 皇國臣民は、畏くも皇室を宗家と仰いで、一國一家の生活を營んでゐる。もとより我が國には古來他民族の皇化を慕つて來たり仕へるものがあつたが、これ等外來民族も御稜威の下に皆齊しく臣民たるの惠澤に浴し、時移るに從ひ、精神的にも血統的にも全く一體となつて、! ;! ;臣民たるの分を竭くし來たつた。聖徳無邊、萬物を包容同位して至らざるなく、一國一家の實は愈々擧がり、君民一體の光輝ある國家は天壤と共に窮まりなく榮えて來た。
 萬民愛撫の皇化の下に億兆心を一にして天皇にまつろひ奉る、これ皇國臣民の