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国体の本義
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我が国は、今や国運頗る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途弥々多望な時に際会してゐる。産業は隆盛に、国防は威力を加へ、生活は豊富となり、文化の発展は諸方面に著しいものがある。夙に支那・印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神(かむ!
2394;がら)の国体に醇化せられ、更に明治・大正以来、欧米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顕著な発達を遂げた。文物・制度の整備せる、学術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、万葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民(みたみ)吾(われ)生ける験!
65288;しるし)あり天地(あめつち)の栄ゆる時にあへらく念(おも)へば」と謳ふであらう。明治維新の鴻業により、旧来の陋習を破り、封建的束縛を去つて、国民はよくその志を途げ、その分を竭くし、爾来七十年、以て今日の盛事を見るに至つた。
併しながらこの盛事は、静かにこれを省みるに、実に安穏平静のそれに非ずして、内に外に波瀾万丈、発展の前途に幾多の困難を蔵し、隆盛の内面に混乱をつつんでゐる。即ち国体の本義は、動もすれば透徹せず、学問・教育・政治・経済その他国民生活の各方面に幾多の!
7424;陥を有し、伸びんとする力と混乱の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕(くんいう)を併せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。今や我が国は、一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで発展の機で!
12354;り、進歩の時である。我等は、よく現下内外の真相を把握し、拠つて進むべき道を明らかにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、弥々国運の伸展に貢献するところがなければならぬ。
現今我が国の思想上・社会上の諸弊は、明治以降余りにも急激に多種多様な欧米の文物・制度・学術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に趨り、厳正な批判を欠き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。抑々我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十!
0843;世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於て国家や民放を超越!
12375;た抽象的な世界性を尊重するものである。従つてそこには歴史的全体より孤立して、抽象化せられた個々独立の人間とその集合とが重視せられる。かゝる世界観・人生観を基とする政治学説・社会学説・道徳学説・教育学説等が、一方に於て我が国の諸種の改革に貢献すると&!
#20849;に、他方に於て深く広くその影響を我が国本来の思想・文化に与へた。
我国の啓蒙運動に於ては、先づ仏蘭西啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英米の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸の国権思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治!
2539;経済・思想・風習等を動かし、所謂欧化主義時代を現出した。然るにこれに対して伝統復帰の運動が起つた。それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。蓋し極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史!
12398;内面を流れる国民的精神を萎靡せしめる惧れがあつたからである。かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来し、思想は昏迷に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに、明治二十三年「教育ニ関スル勅語」の渙発せられるに至つて&!
#12289;国民は皇祖皇宗の肇国樹徳の聖業とその履践すべき大道とを覚り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流!
行を極めた。即ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に!
;今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた。
抑々社会主義・無政府主義・共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やそ!
2398;本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を将来してゐるといふことが出来る。久しく個人主義の下にその!
31038;会・国家を発達せしめた欧米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が国に関する限り、真に我が国独自の立場に還り、万古不易の国体を闡明し、一切の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々欧米文化の摂取醇化に努め、本を&!
#31435;てて末を生かし、聡明にして宏量なる新日本を建設すべきである。即ち今日我が国民の思想の相剋、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の本義を体得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が!
国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こゝに我等の重大なる世界史的使命がある。乃ち「国体の本義」を編纂して、肇国の由来を詳にし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進ん!
;でこれを今の世に説き及ぼし、以て国民の自覚と努力とを促す所以である。
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大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は!
;、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国(てうこく)の事事の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。
我が肇国は、皇祖天照大神(あまてらすおほみかみ)が神勅を皇孫瓊瓊杵(ににぎ)ノ尊に授け給うて、豊葦原の瑞穂(みづほ)の国に降臨せしめ給うたときに存する。而して古事記・日本書紀等は、皇祖肇国の御事を語るに当つて、先づ天地開闢・修理固成のことを伝へ!
;てゐる。即ち古事記には、
天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天(たかま)ノ原(はら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主(あめのみなかぬし)ノ神、次に高御産巣日(たかみむすび)ノ神、次に神産巣日(かみむすび)ノ神、この三柱の神はみな独神(ひとりがみ)成りまし!
;て、身(みみ)を隠したまひき。
とあり、又日本書紀には、
天(あめ)先づ成りて地(つち)後に定まる。然して後、神聖(かみ)其の中(なか)に生(あ)れます。故(か)れ曰く、開闢之初(あめつちのわかるゝはじめ)、洲壌(くにつち)浮かれ漂へること譬へば猶游ぶ魚の水の上に浮けるがごとし。その時天地の中に一物!
;(ひとつのもの)生(な)れり。状(かたち)葦牙(あしかび)の如し。便ち化為(な)りませる神を国常立(くにのとこたち)ノ尊と号(まを)す。
とある。かゝる語事(かたりごと)、伝承は古来の国家的信念であつて、我が国は、かゝる悠久なるところにその源を発してゐる。
而して国常立(くにのとこたち)ノ尊を初とする神代七代の終に、伊弉諾(いざなぎ)ノ尊・伊弉冉(いざなみ)ノ尊二柱の神が成りましたのである。古事記によれば、二尊は天ッ神諸々の命(みこと)もちて、漂へる国の修理固成の大業を成就し給うた。即ち、 是に!
;天ッ神諸(もろ/\)の命(みこと)以(も)ちて、伊邪那岐ノ命・伊邪那美ノ命二柱の神に、この漂へる国を修理(つく)り固(かため)成(な)せと詔(の)りごちて、天(あま)の沼矛(ぬぼこ)を賜ひてことよさしたまひき。
とある。かくて伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二奪は、先づ大八洲を生み、次いで山川・草木・神々を生み、更にこれらを統治せられる至高の神たる天照大神を生み給うた。即ち古事記には、
此の時伊邪那岐ノ命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまはく、吾(あれ)は子(みこ)生み生みて、生みの終(はて)に、三貴子(みはしらのうつのみこ)得たりと詔りたまひて、即ち其の御頚珠(みくびたま)の玉の緒(を)もゆらに取りゆらかして、天照大!
;御神に賜ひて詔りたまはく、汝(な)が命は高天原を知らせと、ことよさして賜ひき。
とあり、又日本書紀には、
伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊共に議(はか)りて曰(のたまは)く、吾(あ)れ已に大八洲国及び山川草木を生めり、何(いか)にぞ天下(あめのした)の主(きみ)たるべき者を生まざらめやと。是に共に日神(ひのかみ)を生みまつります。大日●(「櫺」の右側の下に!
「女」)貴(おほひるめのむち)と号(まを)す。(一書に云く、天照大神、一書に云く、天照大日●ノ尊。)此の子(みこ)光華(ひかり)明彩(うるは)しくして六合(あめつち)の内に照徹(てりとほ)らせり。
とある。
天照大神は日神又は大日●貴とも申し上げ、「光華明彩しくして六合の内に照徹らせり」とある如く、その御稜威は宏大無辺であつて、万物を化育せられる。即ち天照大神は高天ノ原の神々を始め、二尊の生ませられた国土を愛護し、群品を撫育し、生成発展せしめ給ふの!
である。
天照大紳は、この大御心・大御業を天壌と共に窮りなく弥栄えに発展せしめられるために、皇孫を降臨せしめられ、神勅を下し給うて君臣の大義を定め、我が国の祭祀と政治と教育との根本を確立し給うたのであつて、こゝに肇固の大業が成つたのである。我が国は、かゝ!
;る悠久深遠な肇国の事実に始つて、天壌と共に窮りなく生成発展するのであつて、まことに万邦に類を見ない一大盛事を現前してゐる。
天照大神が皇孫瓊瓊杵ノ尊を降し給ふに先立つて、御弟素戔嗚ノ尊の御子孫であらせられる大国主ノ神を中心とする出雲の神々が、大命を畏んで恭順せられ、こゝに皇孫は豊葦原の瑞穂の国に降臨遊ばされることになつた。而して皇孫降臨の際に授け給うた天壌無窮の神勅!
;には、
豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みづほ)の国は、是れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ) 宝祚(あまつひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌!
;(あめつち)と窮りなかるべし。
と仰せられてある。即ちこゝに儼然たる君臣の大義が昭示せられて、我が国体は確立し、すべしろしめす大神たる天照大神の御子孫が、この瑞穂の国に君臨し給ひ、その御位の隆えまさんこと天壌と共に窮りないのである。而してこの肇国の大義は、皇孫の降臨によつて万古!
;不易に豊葦原の瑞穂の国に実現されるのである。
更に神鏡奉斎の神勅には、
此れの鏡は、専(もは)ら我が御魂(みたま)として、吾が前(みまへ)を拝(いつ)くが如(ごと)、いつきまつれ。
と仰せられてある。即ち御鏡は、天照大神の崇高なる御霊代(みたましろ)として皇孫に授けられ、歴代天皇はこれを承け継ぎ、いつきまつり給ふのである。歴代天皇がこの御鏡を承けさせ給ふことは、常に天照大神と共にあらせられる大御心であつて、即ち天照大神は御鏡!
;と共に今にましますのである。天皇は、常に御鏡をいつきまつり給ひ、大神の御心をもつて御心とし、大神と御一体とならせ給ふのである。而してこれが我が国の敬神崇祖の根本である。
又この神勅に次いで、
思金(おもひかね)ノ神は、前(みまへ)の事を取り持ちて政(まつりごと)せよ。と仰せられてある。この詔は、思金ノ神が大神の詔のまに/\、常に御前の事を取り持ちて行ふべきことを明示し給うたものであつて、これは大神の御子孫として現御神(あまつみかみ!
;)であらせられる天皇と、天皇の命によつて政に当るものとの関係を、儼として御示し遊ばされたものである。即ち我が国の政治は、上は皇祖皇宗の神霊を祀り、現御神(あまつみかみ)として下万民を率ゐ給ふ天皇の統べ治らし給ふところであつて、事に当るものは大御心ӛ!
4;奉戴して輔翼の至誠を尽くすのである。されば我が国の政治は、神聖なる事業であつて、決して私のはからひ事ではない。
こゝに天皇の御本質を明らかにし、我が国体を一層明徴にするために、神勅の中にうかゞはれる天壌無窮・万世一系の皇位・三種の神器等についてその意義を闡明しなければならぬ。
天壌無窮とは天地と共に窮りないことである。惟ふに、無窮といふことを単に時間的連続に於てのみ考へるのは、未だその意味を尽くしたものではない。普通、永遠とか無限とかいふ言葉は、単なる時間的連続に於ける永久性を意味してゐるのであるが、所謂天壌無窮は、!
;更に一層深い意義をもつてゐる。即ち永遠を表すと同時に現在を意味してゐる。現御神にまします天皇の大御心・大御業の中には皇祖皇宗の御心が拝せられ、又この中に我が国の無限の将来が生きてゐる。我が皇位が天壌無窮であるといふ意味は、実に過去も未来も今に於てߌ!
8;になり、我が国が永遠の生命を有し、無窮に発展することである。我が歴史は永遠の今の展開であり、我が歴史の根柢にはいつも永遠の今が流れてゐる。
「教育ニ関スル勅語」に「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と仰せられてあるが、これは臣民各々が、皇祖皇宗の御遺訓を紹述し給ふ天皇に奉仕し、大和心を奉戴し、よくその道を行ずるところに実現せられる。これによつて君民体を一にして無窮に生成発展し、皇位は弥々!
;栄え給ふのである。まことに天壌無窮の宝祚は我が国体の根本であつて、これを肇国の初に当つて永久に確定し給うたのが天壌無窮の神勅である。
皇位は、万世一系の天皇の御位であり、たゞ一すぢの天ッ日嗣である。皇位は、皇祖の神裔にましまし、皇祖皇宗の肇め給うた国を承け継ぎ、これを安国と平らけくしろしめすことを大御業とせさせ給ふ「すめらぎ」の御位であり、皇祖と御一体となつてその大御心を今に!
;顕し、国を栄えしめ民を慈しみ給ふ天皇の御地位である。臣民は、現御神にまします天皇を仰ぐことに於て同時に皇祖皇宗を拝し、その御恵の下に我が国の臣民となるのである。かくの如く皇位は尊厳極まりなき高御座であり、永遠に揺ぎなき国の大本である。
高御座に即き給ふ天皇が、万世一系の皇統より出でさせ給ふことは肇国の大本であり、神勅に明示し給ふところである。即ち天照大神の御子孫が代々この御位に即かせ給ふことは、永久に渝ることのない大義である。個人の集団を以て国家とする外国に於ては、君主は智・!
;徳・力を標準にして、徳あるはその位に即き、徳なきはその位を去り、或は権力によつて支配者の位置に上り、権力を失つてその位を逐はれ、或は又主権者たる民衆の意のまゝに、その選挙によつて決定せられる等、専ら人の仕業、人の力のみによつてこれを定める結果となӚ!
7;のは、蓋し止むを得ないところであらう。而もこの徳や力の如きは相対的のものであるから、いきほひ権勢や利害に動かされて争闘を生じ、自ら革命の国柄をなすに至る。然るに我が国に於ては、皇位は万世一系の皇統に出でさせられる御方によつて継承せられ、絶対に動く{!
71;とがない。さればかゝる皇位にまします天皇は、自然にゆかしき御徳をそなへさせられ、従って御位は益々鞏く又神聖にましますのである。臣民が天皇に仕へ奉るのは所謂義務ではなく、又力に服することでもなく、止み難き自然の心の現れであり、至尊に対し奉る自らなる!
167;仰随順である。我等国民は、この皇統の弥々栄えます所以と、その外国に類例を見ない尊厳とを、深く感銘し奉るのである。
皇位の御しるしとして三種の神器が存する。日本書紀には、
天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵ノ尊に、八坂瓊ノ曲玉及び八咫ノ鏡・草薙ノ剣、三種の宝物を賜ふ。
とある。この三種の神器は、天の岩屋の前に於て捧げられた八坂瓊ノ曲玉・八咫ノ鏡及び素戔鳴ノ尊の奉られた天ノ叢雲ノ剣(草薙ノ剣)の三種である。皇祖は、皇孫の降臨に際して特にこれを授け給ひ、爾来、神器は連綿として代々相伝へ給ふ皇位の御しるしとなつた。従!
;つて歴代の天皇は、皇位継承の際これを承けさせ給ひ、天照大神の大御心をそのまゝに伝へさせられ、就中、神鏡を以て皇祖の御霊代として奉斎し給ふのである。
畏くも、今上天皇陛下御即位式の勅語には、
朕祖宗ノ威霊ニ頼リ敬ミテ大統ヲ承ケ恭シク神器ヲ奉シ茲ニ即位ノ礼ヲ行ヒ昭ニ爾有衆ニ誥ク
と仰せられてある。
而してこの三種の神器については、或は政治の要諦を示されたものと解するものもあり、或は道徳の基本を示されたものと拝するものもあるが、かゝることは、国民が神器の尊厳をいやが上にも仰ぎ奉る心から自ら流れ出たものと見るべきであらう。
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伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二尊の修理固成は、その大御心を承け給うた天照大神の神勅によつて肇国となり、更に神武天皇の御創業となり、歴代天皇の大御業となつて栄えゆくのである。二尊によつて大八洲は生まれ、天照大神の神勅によつて国は肇った。天照大神の御徳を!
;日本書紀には「光華明彩しくして六合の内に照徹らせり」と申し上げてゐる。天皇はこの六合の内を普く照り徹らせ給ふ皇祖の御徳を具現し、皇祖皇宗の御遺訓を継承せられて、無窮に我が国を統治し給ふ。而して臣民は、天皇の大御心を奉体して惟神の天業を翼賛し奉る。ӕ!
1;ゝに皇国の確立とその限りなき隆昌とがある。
孝徳天皇は、大化三年新政断行後の詔に、
惟神も我が子治さむと故寄させき。是を以て天地の初より君と臨す国なり。
と宣はせられてゐる。
又、今上天皇陛下御即位位式の勅語には、
朕惟フニ我カ皇祖皇宗惟神ノ大道ニ遵ヒ天業ヲ経綸シ万世不易ノ丕基ヲ肇メ一系無窮ノ永祚ヲ伝ヘ以テ朕カ躬ニ逮ヘリ
と仰せられてある。以て歴代の天皇が万世一系の皇位を承け継がせられ、惟神の大道に遵ひ、弥々天業を経綸し給ふ大御心を拝することが出来る。
神武天皇が高千穂の宮にて皇兄五瀬ノ命と譲り給うた時「何れの地にまさばか、天の下の政をば平けく聞しめさむ」と仰せられたのは、国を念ひ、民を慈しみ給ふ大御心の現れであり、而してこれは、歴代の天皇の御精神でもあらせられる。天皇が御奠都に際して、 我!
;東に征きしより茲に六年になりぬ、 皇天の威を頼りて、凶徒就戮されぬ。 辺土未だ清まらず余妖尚梗しと雖も、中洲之地復風塵なし。 誠に宜しく皇都を恢廓め大壮を規●(「暮」の「日」の代りに「手」)るべし。 ……然して後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひ{!
90;字と為むこと、亦可からずや。
と仰せられた詔は、まことに禍を払ひ、道を布き、弥々広く開けゆく我が国の輝かしい発展の道を示し給うたものである。而してこれ実に歴代天皇がいや継ぎ継ぎに継ぎ給ふ宏謨である。
かくて天皇は、皇祖皇宗の御心のまに/\我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇!
;宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の
生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。帝国憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、又第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、天皇のこの御本質を明らかにし奉つたものである。従つて天皇!
;は、外国の君主と異なり、国家統治の必要上立てられた主権者でもなく、智力・徳望をもととして臣民より選び定められた君主でもあらせられぬ。
天皇は天照大神の御子孫であり、皇祖皇宗の神裔であらせられる。天皇の御位はいかしく重いのであるが、それは天ッ神の御子孫として、この重き位に即き給ふが故である。文武天皇御即位の宣命に、
高天原に事始めて遠天皇祖の御世、中今に至るまでに、天皇が御子のあれまさむ弥継ぎ継ぎに大八島国知らさむ次と、天ッ神の御子ながらも天に坐す神の依さし奉りしまにまに、
と仰せられた如く、歴代の天皇は、天ッ神の御子孫として皇祖皇宗を敬ひまつり、皇祖皇宗と御一体になつて御位にましますのである。されば古くは、神武天皇が鳥見の山中に霊畤を立て、皇祖天神を祀つて大孝を申べさせられたのを始め、歴代の天皇皆皇祖皇宗の神霊を崇!
;敬し、親しく祭祀を執り行はせ給ふのである。
天皇は恒例及び臨時の祭祀を最も厳粛に執り行はせられる。この祭祀は天皇が御親ら皇祖皇宗の神霊をまつり、弥々皇祖皇宗と御一体とならせ給ふためであつて、これによつて民人の慶福、国家の繁栄を祈らせ給ふのである。又古来農事に関する祭を重んじ、特に御一代一!
;度の大嘗祭並びに年毎の新嘗祭には、夜を徹して御親祭遊ばされる。これは皇孫降臨の際、天照大神が天壊無窮の神勅と神器とを下し給ふと同時に、斎庭の稲穂を授けさせられたことに基づくのである。その時の神勅には、
吾が高天ノ原に御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつる。
と仰せられてある。即ち大嘗祭並びに新嘗祭には、皇祖の親授し給ひし稲穂を尊み、瑞穂の国の民を慈しみ給ふ神代ながらの御精神がよく葬祭せられる。
天皇は祭祀によつて、皇祖皇宗と御一体とならせ給ひ、皇祖皇宗の御精神に応へさせられ、そのしろしめされた蒼生を弥々撫育し栄えしめ給はんとせられる。ここに天皇の国をしろしめす御精神が拝せられる。故に神を祭り給ふことと政をみそなはせ給ふこととは、その根!
;本に於て一致する。又天皇は皇祖皇宗の御遺訓を紹述し、以て肇国の大義と国民の履践すべき大道とを明らかにし給ふ。こゝに我が教育の大本が存する。従つて教育も、その根本に於ては、祭祀及び政治と一致するのであつて、即ち祭祀と政治と教育とは、夫々の働をなしなӔ!
4;ら、その帰するところは全く一となる。
天皇の国土経営の大御心は、我が国史の上に常に明らかに拝察せられる。この国土は、伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二尊が天ッ神諸々の命もちて修理固成し給うたものである。而して皇孫瓊瓊杵ノ尊は天照大神の神勅を奉じ、諸神を率ゐて降臨し、我が国永遠不動の礎を定め給!
;うた。爾来日向に於て彦波●(「瀲」の右側が「欠」)武●(「顱」の右側が「鳥」)●(「滋」の右側+「鳥」)草葺不合ノ尊まで代々養正の御心を篤くせられたのであるが、神武天皇に至つて都を大和に奠めて、元元を鎮め、上は乾霊授国の御徳に応へ、下は皇孫養正の御&!
#24515;を弘め給うた、されば歴代天皇の国土経営の御精神は、一に皇祖の皇孫を降臨せしめ給うた大和心に基づき、この国土を安泰ならしめ、教化啓導の御徳を洽からしめられるところにある。崇神天皇の御代に四道将軍を発遣せられた際にも、この御精神は明らかに拝せられる。!
即ちその詔には、
民を導くの本は、教化くるに在り。今既に神祇を礼ひて、災害皆耗きぬ 然れども遠荒の人等、猶正朔を受けず、是れ未だ王化に習はざればか。其れ群卿を選びて、四方に遣して、朕が憲を知らしめよ。
と仰せられてある。
景行天皇の御代に、日本武ノ尊をして熊襲・蝦夷を平定せしめられた場合も亦全く同様である。更に神功皇后が新羅に出兵し給ひ、桓武天皇が坂上ノ田村麻呂をして奥羽の地を鎮めさせ給うたのも、近くは日清・日露の戦役も、韓国の併合も、又満州国の建国に力を尽くさ!
;せられたのも、皆これ、上は乾霊授国の御徳に応へ、下は国土の安寧と愛民の大業をすゝめ、四海に御稜威を輝かし給はんとの大御心の現れに外ならぬ。明治天皇は、 おごそかにたもたざらめや神代よりうけつぎ来たるうらやすの国
かみつよの聖のみよのあととめてわが葦原の国はをさめむ
と詠み給うた。以て天皇の尊き大御心を拝察すべきである。
天皇の、億兆に限りなき愛撫を垂れさせ給ふ御事蹟は、国史を通じて常にうかがはれる。畏くも天皇は、臣民を「おほみたから」とし、赤子と思召されて愛護し給ひ、その協翼に倚藉して皇猷を恢弘せんと思召されるのである。この大御心を以て歴代の天皇は、臣民の慶福!
;のために御心を注がせ給ひ、ひとり正しきを勧め給ふのみならず、悪しく枉れるものをも慈しみ改めしめられるのである。
天照大神が、皇孫を御降しになるに先立つて、出雲の神々の恭順を勧め給ふ際にも、平和的手段を旨とし、大国主ノ神の恭順せられるに及んで、宮居を建てて優遇し給うた。これ、今日まで出雲大社の重んぜられる所以である。かゝる御仁愛は、皇祖以来、常にこの国土を!
;しろしめす天皇の御精神であらせられる。
歴代の天皇が蒼生を愛養して、その衣食を豊かにし、その災害を除き、ひたすら民を安んずるを以て、天業恢弘の要務となし給うたことは更めて説くまでもない。垂仁天皇は多くの地溝を開き、農事を勧め、以て百姓を富寛ならしめ給うた。又百姓の安養を御軫念遊ばされ!
;た仁徳天皇の御仁慈は、国民の普く語り伝へて頌
へ奉るところである。雄略天皇の御遺詔には、
筋力精神、一時に労竭きぬ。此の如きの事、本より身の為のみに非ず。 たゞ百姓を安養せむと欲するのみ。
と仰せられ、又醍醐天皇が寒夜に御衣をぬがせられて民の身の上を想はせ給うた御事蹟の如き、後醍醐天皇が天下の饑饉を聞召して、「朕不徳あらば天予一人を罪すべし。黎民何の咎有てか此災に遭ふ」と仰せられて、朝餉の供御を止められて飢人窮民に施行し給ひ、後奈良!
;天皇が疫病流行のため民の死するもの多きをいたく御軫念あらせられた御事蹟の如き、我等臣民の斉しく感泣し奉るところである。
天皇は億兆臣民を御一人の臣民とせられず、皇祖皇宗の臣民の子孫と思召させ給ふのである。憲法発布勅語にも、
朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ
と仰せられ、又、明治天皇は明治元年維新の宸翰に、
朝政一新ノ時ニ膺リ天下億兆一人モ其処ヲ得サル時ハ皆 脱カ罪ナレハ今日ノ事 朕自身骨ヲ労シ心志ヲ苦メ艱難ノ先ニ立古 列祖ノ尽サセ給ヒシ蹤ヲ履ミ治蹟ヲ勤メテコソ始テ天職ヲ奉シテ億兆ノ君タル所ニ背カサルヘシ
と仰せ給ひ、御製に、
みち/\につとめいそしむ国民の身をすくよかにあらせてしがな
とあるを拝誦する時、親の子を慈しむにいやまさる天皇の御仁慈を明らかに拝し奉るのである。維新前後より国事にたふれた忠誠なる臣民を、身分職業の別なく、その勲功を賞して、靖国神社に神として祀らせられ、又天災地変の際、畏くも御救恤に大和心を注がせ給うた御!
;事蹟は一々挙げて数へ難き程である。更に民にして行を誤つた者に対してすらも、罪を憐む深き御仁徳をもつてこれを容し給ふのである。
尚、歴代の天皇は臣民の守るべき道を懇ろに示し給うてゐる。即ち推古天皇の御代には憲法十七条の御制定があり、近く明治二十三年には「教育ニ関スル勅語」を御下賜遊ばされた。まことに聖徳の宏大無辺なる、誰か感佩せざるものがあらうか。
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我等は既に宏大無辺の聖徳を仰ぎ奉つた。この御仁慈の聖徳の光被するところ、臣民の道は自ら明らかなものがある。臣民の道は、皇孫瓊瓊杵ノ尊の降臨し給へる当時、多くの神々が奉仕せられた精神をそのまゝに、億兆心を一にして天皇に仕へ奉るところにある。即ち我!
;等は、生まれながらにして天皇に奉仕し、皇国の道を行ずるものであつて、我等臣民のかゝる本質を有することは、全く自然に出づるのである。
我等臣民は、西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異にしてゐる。君民の関係は、君主と対立する人民とか、人民先づあつて、その人民の発展のため幸福のために、君主を定めるといふが如き関係ではない。然るに往々にして、この臣民の本質を謬り、或は所謂人民!
;と同視し、或は少くともその間に明確な相違あることを明らかにし得ないもののあるのは、これ、我が国体の本義に関し透徹した見解を欠き、外国の国家学説を曖昧な理解の下に混同して来るがためである。各々独立した個々の人間の集合である人民が、君主と対立し君主をਓ!
3;立する如き場合に於ては、君主と人民との間には、これを一体ならしめる深い根源は存在しない。然るに我が天皇と臣民との関係は、一つの根源より生まれ、肇国以来一体となつて栄えて来たものである。これ即ち我が国の大道であり、従つて我が臣民の道の根本をなすもの{!
91;あつて、外国とは全くその撰を異にする。固より外国と雖も、君主と人民との間には夫々の歴史があり、これに伴ふ情義がある。併しながら肇国の初より、自然と人とを一にして自らなる一体の道を現じ、これによつて弥々栄えて来た我が国の如きは、決してその例を外国に!
714;めることは出来ない。こゝに世界無比の我が国体があるのであつて、我が臣民のすべての道はこの国体を本として始めて存し、忠孝の道も亦固よりこれに基づく。
我が国は、天照大神の御子孫であらせられる天皇を中心として成り立つてをり、我等の祖先及び我等は、その生命と流動の源を常に天皇に仰ぎ奉るのである。それ故に天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、我等の歴史的生命を今に生かす所以であり、こゝに国民!
;のすべての道徳の根源がある。
忠は、天皇を中心とし奉り、天皇に絶対随順する道である。絶対随順は、我を捨て私を去り、ひたすら天皇に奉仕することである。この忠の道を行ずることが我等国民の唯一の生きる道であり、あらゆる力の源泉である。されば、天皇の御ために身命を捧げることは、所謂!
;自己犠牲ではなくして、小我を捨てて大いなる御稜威に生き、国民としての真生命を発揚する所以である。天皇と臣民との関係は、固より権力服従の人為的関係ではなく、また封建道徳に於ける主従の関係の如きものでもない。それは分を通じて本源に立ち、分を全うして本!
4;を顕すのである。天皇と臣民との関係を、単に支配服従・権利義務の如き相対的関係と解する思想は、個人主義的思考に立脚して、すべてのものを対等な人格関係と見る合理主義的考へ方である。個人は、その発生の根本たる国家・歴史に連なる存在であつて、本来それと一Ë!
07;をなしてゐる。然るにこの一体より個人のみを抽象し、この抽象せられた個人を基本として、逆に国家を考へ又道徳を立てても、それは所詮本源を失つた抽象論に終るの外はない。
我が国にあつては、伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊二尊は自然と神々との祖神であり、天皇は二尊より生まれました皇祖の神裔であらせられる。皇祖と天皇とは御親子の関係にあらせられ、天皇と臣民との関係は、義は君臣にして情は父子である。この関係は、合理的義務的関係!
;よりも更に根本的な本質関係であつて、こゝに忠の道の生ずる根拠がある。個人主義的人格関係からいへば、我が国の君臣の関係は、没人格的の関係と見えるであらう。併しそれは個人を至上とし、個人の思考を中心とした考、個人的抽象意識より生ずる誤に外ならぬ。我がࡩ!
1;臣の関係は、決して君主と人民と相対立する如き浅き平面的関係ではなく、この対立を絶した根本より発し、その根本を失はないところの没我帰一の関係である。それは、個人主義的な考へ方を以てしては決して理解することの出来ないものである。我が国に於ては、肇国以Ĉ!
69;この大道が自ら発展してゐるのであつて、その臣民に於て現れた最も根源的なものが即ち忠の道である。こゝに忠の深遠な意義と尊き価値とが存する。近時、西洋の個人主義的思想の影響を受け、個人を本位とする考へ方が旺盛となつた。従つてこれとその本質を異にする我!
364;忠の道の本旨は必ずしも徹底してゐない。即ち現時我が国に於て忠を説き、愛国を説くものも、西洋の個人主義・合理主義に累せられ、動もすれば真の意味を逸してゐる。私を立て、我に執し、個人に執著するがために生ずる精神の汚濁、知識の陰翳を祓ひ去つて、よく我等!
3251;民本来の清明な心境に立ち帰り、以て忠の大義を体認しなければならぬ。
天皇は、常に皇祖皇宗を祀り給ひ、万民に率先して祖孫一体の実を示し、敬神崇祖の範を垂れ給ふのである。又我等臣民は、皇祖皇宗に仕へ奉つた臣民の子孫として、その祖先を崇敬し、その忠誠の志を継ぎ、これを現代に生かし、後代に伝へる。かくて敬神崇祖と忠の道!
;とは全くその本を一にし、本来相離れぬ道である。かゝる一致は独り我が国に於てのみ見られるのであつて、こゝにも我が国体の尊き所以がある。
敬神崇祖と忠の道との完全な一致は、又それらのものと愛国とが一となる所以である。抑々我が国は皇室を宗家とし奉り、天皇を古今に亙る中心と仰ぐ君民一体の一大家族国家である。故に国家の繁栄に尽くすことは、即ち天皇の御栄えに奉仕することであり、天皇に忠を!
;尽くし奉ることは、即ち国を愛し国の隆昌を図ることに外ならぬ。忠君なくして愛国はなく、愛国なくして忠君はない。あらゆる愛国は、常に忠君の至情によつて貫かれ、すべての忠君は常に愛国の熱誠を件つてゐる。固より外国に於ても愛国の精神は存する、然るにこの愛ࢲ!
9;は、我が国の如き忠君と根柢より一となり、又敬神崇祖と完全に一致するが如きものではない。
実に忠は我が臣民の根本の道であり、我が国民道徳の基本である。我等は、忠によつて日本臣民となり、忠に於て生命を得、こゝにすべての道徳の根源を見出す。これを我が国史に徴するに、忠君の精神は常に国民の心を一貫してゐる。戦国時代に於ける皇室の式微は、真!
;に畏れ多い極みであるが、併しこの時代に於ても、なほ英雄が事をなすに当つては、その尊皇の精神の認められない限り、人心を得ることは出来なかつた。織田信長・豊臣秀吉等がよく事功を奏するを得たことは、この間の消息を物語つてゐる。即ち如何なる場合にも、尊皇ӗ!
8;精神は国民を動かす最も力強いものである。
万業集に見える大伴家持の歌には、
大件の 遠つ神祖の その名をば 大来目主と おひもちて 仕へし官 海行かば 水漬くかばね 山行かば 草むすかばね 大皇の 辺にこそ死なめ かへりみは せじと言立て
とある。この歌は、古より我が国民胸奥の琴線に触れ、今に伝誦せられてゐる。
橘諸兄の
ふる雪の白髪までに大皇につかへまつれば貴くもあるか
の歌には、白髪に至るまで大君に仕へ奉つた忠臣の面目が躍如として現れてゐる。又楠木正成の七生報国の精神は、今も国民を感奮興起せしめてゐる。又我が国には古より、或は激越に或は沈痛に忠君の心を歌に託して披瀝したものが少くない。
即ち源実朝の
山はさけ海はあせなむ世なりとも君に二心我あらめやも
僧月照の
大君の為には何か惜しからむ薩摩の瀬戸に身は沈むとも
平野国臣の
数ならぬ身にはあれども希はくは鏑の旗のもとに死にてむ
梅田雲浜の
君が代を思ふ心の一すぢに我が身ありとも思はざりけり
等の如きそれである。
忠は、国民各自が常時その分を竭くし、忠実にその職務を励むことによつて実現せられる。畏くも「教育ニ関スル勅語」に示し給うた如く、独り一旦緩急ある場合に義勇公に奉ずるのみならӕ
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